量子力学の基礎概念
7.1 はじめに
粒子の生成・消滅のような適用範囲でないものを除き、量子力学が自然界で起こり得るあらやる事柄の完全な記述を与えることができるのであれば、観測過程もまた、観測装置の波動関数と観測されている系の波動関数によって記述されなければならないであろう。この量子力学的な観測過程は、フォン・ノイマンによって数学的な取扱いがなされており、本節ではこれ紹介する。
7.2 量子系の相互作用
事前準備として一定の条件の下での量子系の相互作用を扱う。まず、量子系Aと量子系Sが、相互作用せずにそれぞれハミルトン演算子HAとHSによりシュレディンガー方程式に従っているものとする。
この場合、全体のハミルトン演算子は、
H=HA+HS=HA(y)+HS(x) (7.1)
である。ここで、両者に相互作用が無いことは、HAを変数yだけの関数、HSを変数xだけの関数とすることで組み込まれている。
次に、量子系Sの波動関数は、その系が存在する場合のシュレディンガー方程式の解からなる直交関数系vm(x
ψS=ΣCm(t)vm(x) (Cm(t)は未知) (7.2)
量子系Aと量子系Sが相互作用を始めると、ハミルトン演算子に第三項が現れる。これを、取りあえずHI(x,y)と表すと、
H=HA(y)+HS(x)+HI(x,y) (7.3)
となる。
さて、ここまでの考察では全く近似を使っておらず、式(7.3)を用いてシュレディンガー方程式を解けば厳密解を得ることができる。しかし、ここで数学的な取扱いを簡単にするために、
HA(y),HS(x
) << HI(x,y) (7.4)という近似を用いることとする。従って、相互作用が生じている際のハミルトン演算子は、
H ≈HI(x,y)
(7.5)となる。この近似は、相互作用が非常に強いことを意味している。
7.3 量子系の相関
量子系Aと量子系Sというアルファベットを用いたことから、察しの良い人は予想していたと思うが、量子系Aは観測装置、量子系Sは観測される系を表している。観測が行われるためには、観測対象となる物理量を量子系Sの波動関数から量子系Aの波動関数へと相関させ(量子系Sの波動関数の差異を量子系Aの波動関数で表すこと)、何等かの方法で量子系Aの差異を古典的に見える形式(アンメーターや写真乾板上の点など)にする必要がある。ここではまず、観測される系と観測装置を相関させるための相互作用を定式化する。
相互作用の間、系Sが変化する可能性が2つある。1つは、相互作用の間にも観測する物理量がシュレディンガー方程式によって変化するということ、もう1つは、観測装置との相互作用によって変化するということである。古典力学で考えてみてもわかるように、測定の間に変化する系を取扱うのは困難である。そこで、この変化を無いものとするために、相互作用に一定の条件を付ける。1つは、式(7.5)であり、もう1つはこの相互作用の時間を極めて短くすることである。これにより相互作用の間、相互作用とは独立に生じるHA(y)とHS(x)によるシュレディンガー方程式の変化を無視することができる。このような相互作用を衝撃的相互作用という。しかし、このような衝撃的相互作用だけでは、相互作用自体によって観測しつつある変数にもたらされる変化は回避することができない。そこで、HIを次のようなものに設定する。
まず、観測対象となるオブザーバブルを演算子Mで表し、この演算子は固有値m、固有関数vm(x)であるとする。つまり、
である。量子系Aと量子系Sを相関させ、オブザーバブルMを量子系Sの波動関数に反映させるためには、HIはyに依存すると同時に、少なくともMに関係していることが必要である。ここで、HIをMが対角的である同じ表示でやはり対角的であるように選ぶと、mのひとつの値から他の値への遷移に対応するマトリックス要素は零になる。このことは、相互作用がどんなに強くても、Mは全く変化しないことを意味している。相互作用をこのように設定することで、相互作用自体によって観測しつつある変数にもたらされる変化も回避できる。このようなHIを、
HI=HI(M,y) (7.7)
と表すこととする。つまり、HIはMとyだけの関数となる。
また、量子系Sの波動関数は相互作用の間に変化しないことが前提とされたことにより、式(7.2)は相互作用の間は、
ψS=ΣCmvm(x) (Cmは未知複素数) (7.8)
となり、時間依存しない。
7.4 シュレディンガー方程式の展開
それでは、相互作用している間のシュレディンガー方程式を量子系Aと量子系Sの結合系について解いてみる。まず、結合系の波動関数は量子系Aの波動関数をψA=ψA(y,t)とすることで、
ψ(x,y,t)=ψAψS=ΣCmψA(y,t)vm(x) (7.9)
である。
すると、シュレディンガー方程式は、
iћΣm Cm(∂ψA(y,t)/∂t)vm(x)=ΣmCmHI(M,y)vm(x)ψA(y,t)=ΣmCmHI(m,y)vm(x)ψA(y,t) (7.10)
となる。なお、HI(M,y)vm(x)=HI(m,y)vm(x)は、式(7.6)による。
ここで、式(7.10)の両辺にvr(x)を乗じて、xについて積分するとvm(x)が直交関数系であることから、
iћ(ψA(y,t)/∂t)=HI(r,y)ψA(y,t) (7.11)
となる。この式(7.11)は、観測装置である量子系Aの波動関数ψA(y,t)が、系Sの各固有値rによって、それぞれ相異なる状態の変化を受けるということを意味している。この観測装置の変数yとMという2つのオブザーバブルの相関こそが、相互作用を観測に利用するためには必要なものである。
さて、相互作用がt=0で始まったとすると、(7.11)の解は形式的に、
ψA(y,t;r)=exp(-it/ћ・HI(r,y))ψA(y,0) (7.12)
と表すことができ、系Sの各固有値rの値によってψAの時間的発展に差異が表れることがわかる。この式(7.12)を式(7.9)に代入すると、結合系の波動関数は
ψ(x,y,t)=ψAψS=ΣCmψA(y,t)vm(x)=ΣCmψA(y,t;m)vm(x) (7.13)
となる。このことは、相互作用により各固有状態vm(x)に応じて、
ψA(y,t)vm(x)⇒ψA(y,t;m)vm(x)
と時間発展することを意味している。従って、量子系SがψS=vm(x)というように固有状態であった場合は、
ψA(y,t)⇒ψA(y,t;m)
というように量子系Aの波動関数ψAが変化するが、式(7.8)のように量子系Sがオブザ−バブルMについて重ね合わせの状態である場合には、結合系においてもその重ね合せが維持されることとなる。従って、量子系Aと相互作用により相関させたとしても、オブザ−バブルMの物理量を得ることはできない。
私は、観測装置を敢えて量子系Aとしたが、フォン・ノイマンの取扱いでは観測装置は量子系ではなく、古典的な観測装置とされ、波動関数がガウス波束のような波束であるとされている。そして、そのような古典的な系だからこそ、当然に確定的な観測値が得られることが前提とされる。このことは、量子系と古典的な観測装置の相互作用により、波束の収縮が起こることを意味しているといってもよい。つまり、式(7.8)のような重ね合わせの状態にある量子系Sの波動関数は、相互作用が起こると
ΣCmvm(x)⇒ vr(x)
というように、特定の状態vr(x)に変化することが前提となっている。なお、「量子系と古典的な観測装置の相互作用により波束の収縮が起きる」というのは仮説であり、相互作用によって波束の収縮が起こる過程については、これまでの考察では何も説明されていない。
7.4 相互作用の連鎖
観測装置は我々が目に見える形で物理量を表すのだから、古典的な系であることに違いはない。しかし、そのような観測装置も結局は量子系の集合なのだから、量子系と古典系の直接的な相互作用を前提とせず、量子系と量子系の相互作用の集合として観測過程も説明されると考えるのが自然である。そこで、次のような相互作用の連鎖を考えてみる。
まず、観測される系をこれまでと同様に量子系Sとし、これを量子系A1と相互作用させる。ここでも、相互作用は衝撃的相互作用HI1=HI1(M,y1)であり(量子系A1の変数をy1とする)、相互作用が起こっている間、系Sと系A1のそれぞれに固有のハミルトニアンHA1(y1),HS(x)は無視でき、HI1(M,y1)はやはりMが対角的である同じ表示でやはり対角的であるものとする。そして、この相互作用の起こる時間をtとする。すると、t=tにおける結合系の波動関数は、
ψ(x,y1,t)=ΣCmψA1(y1,t;m)vm(x) (7.14)
となる。
続いて、t=tに系Sと系A1の相互作用が終ると同時に、系A1と系A2と同じような衝撃的相互作用HI2=HI2(M(y1),y2)を開始するものとする。(M(y1)は、y1を変数とする波動関数に作用する演算子という意味)相互作用HI1の場合と同様にHI2が作用する間は、系A1の波動関数の変化は無視できるものとする。従って、系Sと系A1の結合系の波動関数は、
ψ(x,y1)=ΣCmψA1(y1;m)vm(x) (7.15)
となる。そして、系A2の波動関数をψA2(y2,t)とすれば、系Sと系A1及び系A2の結合系の波動関数は、
ψ(x,y1,y2,t)=ψA2ψ(x,y1)=ΣCmψA2(y2,t)ψA1(y1;m)vm(x)
である。そして、この結合系に衝撃的相互作用HI2=HI2(M(y1),y2)のみが作用している間のシュレディンガー方程式は
iћΣm Cm(∂ψA2(y2,t)/∂t)ψA1(y1;m)vm(x)=ΣmCmHI2(M(y1),y2)ψA1(y1;m)vm(x)ψA2(y2,t) (7.16)
であり、vr(x)を両辺に乗じてxで積分すれば、vm(x)が直交関数系であることより、
iћ(∂ψA2(y2,t)/∂t)ψA1(y1;r)=HI2(M(y1),y2)ψA1(y1;r)ψA2(y2,t) (7.17)
ここで、M(y1)ψA1(y1;m)=mψA1(y1;m)であると仮定すれば、HI2(M(y1),y2)ψA1(y1;r)=HI2(r,y2)であるため、両辺から
ψA1(y1;r)を落とすことができ、
iћ(∂ψA2(y2,t)/∂t)=HI2(r,y2)ψA2(y2,t) (7.18)
となる。この式(7.18)は、式(7.11)と同様に、系A1の各固有値rに応じてψA2(y2,t)が異なる時間的発展をすることを意味しており、式(7.12)と同様に形式的な解は、
ψA2(y2,t;r)=exp(-it/ћ・HI(r,y))ψA2(y2,0) (7.19)
となり、結合系の波動関数ψ(x,y1,y2,t)は、
ψ(x,y1,y2,t)=ψA2ψ(x,y1)=ΣCmψA2(y2,t;m)ψA1(y1;m)vm(x) (7.20)
となる。
さて、このようにして同様の相互作用を系A3・系A4・系A5・系A6・系A7・系A7・・・・・・・・系ANというように、どんどん衝撃的相互作用を連鎖させていくと、結合系全体の波動関数は、
ψ(x,y1,・・yN,t)=ΣCmψAN(yN,t;m)・・ψA2(y2;m)ψA1(y1;m)vm(x) (7.21)
となることがわかるであろう。このことは、系Sの重ね合わせの状態が、後続の量子系にどこまでも先送りされることを意味し、観測結果が得られないことを示している。フォン・ノイマンは、この矛盾を回避するために、最終的には重ね合わせの状態が人間の意識に伝わる直前まで押しやられ、意識と相互作用することにより波束の収縮が起こると解釈している。つまり、観測装置から人間の感覚器官、さらには神経、脳・・にまで重ね合わせの状態は維持されるとするのである。(「・・・」は身体と意識の意識の接点までを表す。これがどこなのか、今のところ判っていない。恐らく、判ることも無いと思う。なお、この解釈を受け入れると、そのままシュレディンガーの猫のパラドクスも浮かび上がってくる。)
このフォン・ノイマンの解釈よりも、ある程度受け入れやすい別の解釈も存在する。誰が最初に考えたかは知らないが、私が有力だと思う解釈を最後に紹介する。
まず、式(7.21)の形式からわかるように、ψAN(yN,t;m)・・ψA2(y2;m)ψA1(y1;m)という波動関数のどれか1つが、ある状態に確定すれば(波束の収縮を起こせば)、他の波動関数が収縮を起こさなくともψ(x,y1,・・yN,t)は確定した状態となり観測結果が得られることがわかる。つまり、ψA10(y10;s)≠0、ψA10(y10;n)=0(n≠s) となれば、ψ(x,y1,・・yN,t)=CsψAN(yN,t;s)・・ψA2(y2;s)ψA1(y1;s)vs(x)というようになることである。一方、観測装置というのは非常に多くの量子系から構成されており、式(7.21)で表そうとすれば、Nは非常に大きな数になる。
ここで、「波動関数は非常に小さな確率で、自律的に波束の収縮を起こす」と仮定する。これまで、量子系の相互作用を考察して来たが、このような相互作用とは無関係に、自ら起こるというのが自律的という意味である。そうすると、Nが非常に大きければ、自律的な収縮の起こる確率が非常に低くても、ψAN(yN,t;m)・・ψA2(y2;m)ψA1(y1;m)のどこかで自律的な収縮を起こすことは十分にあり得るであろう。すると、式(7.21)の多重的な構造から
ψ(x,y1,・・yN,t)についても波束の収縮が起こり観測値が得られることになる。
次節では、この観測過程の理論を具体的な系に適用してみることとする。
アマチュアリズムの量子力学