ボーム力学
1.3 定常状態
本節では、いくつかの定常状態のモデルに対して、因果的解釈を適用させる。まず、水素原子のs状態や閉じ込められた自由粒子定常状態等のように、実数波動関数の定常状態一般について考察してみる。
定常状態の波動関数Ψ(r,t)は一般的に、
Ψ(r,t)=Ψ0(r)exp(-iEt) (1.11)
という形をしている。ここでは、Ψ0(r)が実数の場合について考えているから、式(1.1) Ψ(r,t)=Rexp(iS)を適用すると、
R=Ψ0(r) S=-Et (1.12)
となる。さて、まずRを式(1.6) Q =−(1/2m)(∇2R /R) に代入し量子ポテンシャルを求めることにするが、
Q =−(1/2m)(∇2R /R)=−(1/2m)(∇2Ψ0/Ψ0)
は、シュレディンガー方程式から、
Q =−(1/2m)(∇2Ψ0/Ψ0)={(H−V)Ψ0}/Ψ0=E−V (1.13)
となる。標準理論では、E−Vは運動エネルギーと考えられるが、ボーム力学ではこれが量子ポテンシャルとされる。このことは、量子的なハミルトン−ヤコビ方程式∂S/∂t +(∇S)2/2m+V+Q =0に(1.12)を代入してみても容易にわかる。また、(1.5)より
p=∇S=0 (1.14)
となることから、粒子は運動していないことがわかる。
以上は、水素原子のs状態や閉じ込められた自由粒子定常状態等のような実数波動関数の定常状態では、量子ポテンシャルが古典的なポテンシャルの空間依存を打ち消すため粒子に力が作用せず((1.13)より)、静止している((1.14)より)ことを示すものであり、標準解釈と全く異なる結論である。
このことは水素原子のs状態を考えるとある意味で合理的な結論である。電磁気学によると、加速運動する電子は電磁波は発しエネルギーを失うため、原子核の周りを周回運動する電子はエネルギーを失い原子核に落ち込むことになる。これは、古典論で原子モデルを構成した際に最初にぶつかった困難であったが、電子が静止してるのであれば電磁波を放出することも無いため、s状態に限定すれば、この困難は解消されることになる。なお、P状態では1.3.2で示すように、電子が加速運動するという結論が得られるため、やはり古典的な原子モデルは成り立たなくなる。
ところで、古典的なポテンシャルを打ち消す、量子ポテンシャルは何よって生じるのであろうか?これについて、説明するために必要なのがinformationの概念である。粒子を含む系についてのinformationが、量子的な場Ψによって表され、これが量子ポテンシャルQ =−(1/2m)(∇2R /R)という距離に依存しない作用を粒子に及ぼす。そして、粒子は、その作用に従った運動の形式が与えられ、このケースでは、その運動の形式が、古典的なポテンシャルの作用を打ち消すようになっているのである。
さて、定常状態で粒子を観測すると、実際に静止した粒子が観測されるように思えるが、そうではない。これについては、ボームの観測理論で示されるのであるが、観測の擾乱により量子的な場が変化し、粒子が加速されるため静止した粒子が観測できるわけではない。このことについては、いずれ詳細に述べることとする。なお、観測される粒子の位置は、アンサンブルがρ=R2になる(1.1.3のD)ことより、因果的解釈でも標準解釈と同じ確率分布に沿って観測されることになる。
1.3.2 水素原子の2P状態
ボーム力学では、波動関数の空間依存が実数である定常状態は、粒子が静止しているということが前節で示されたが、次に波動関数の空間依存に虚数を含む例として、水素原子モデルの2P状態について考えることとする。
2P状態の波動関数は、
Ψ(r,θ,Φ,t)=f(r,θ)exp(imΦ)exp(-iEt) (m=-1,0,1:磁気量子数) (1.15)
という形式である。f(r,θ)は、すべて実数であることから式(1.1) Ψ(r,t)=Rexp(iS)を適用すると、
R=f(r,θ) S=-Et +mΦ (1.16)
である。なお、2P状態は主量子数が2であることから、E=−1/8となる。(原子単位系を用いていることから、電子素量=電子質量=ボーア半径=ћ=1である)
まず、Rを式(1.6) Q =−(1/2m)(∇2R /R) に代入し量子ポテンシャルを求めることにする。面倒な計算を避けるためシュレディンガー方程式を利用するが、そのための準備として演算子∇2を
∇2=∂2/∂r2+2/r・∂/∂r−1/r2sinθ・∂/∂θ・(sinθ∂/∂θ)−1/r2sin2θ・∂2/∂Φ2
=A(∂/∂r,∂/∂θ)−1/r2sin2θ・∂2/∂Φ2 (A(∂/∂r,∂/∂θ)は、∂/∂rと∂/∂θで構成される演算子)
とおく。そうすると、水素原子モデルのハミルトニアンは、
H=−(1/2)∇2−1/r=−(1/2)A−(1/2)・1/r2sin2θ・∂2/∂Φ2 −1/r (1.17)
となり、定常状態のシュレディンガー方程式は、
(−(1/2)A−(1/2)・1/r2sin2θ・∂2/∂Φ2 −1/r)Ψ(r,θ,Φ)=EΨ (r,θ,Φ) (1.18)
である。これに、Ψ(r,θ,Φ)=f(r,θ)exp(imΦ)=R(r,θ)exp(imΦ)を代入すると、m=±1では
(−(1/2)AR+(1/2)・R/r2sin2θ−R/r)exp(imΦ)=ERexp(imΦ) (1.19)
となるが、
−(1/2)∇2R=−(1/2)AR (1.20)
であるため、
Q =−(1/2)(∇2R
/R) =−(1/2)(AR)/R
=−(1/2)・1/r2sin2θ+1/r+E (1.21)
よって、
Q+(1/2)・1/r2sin2θ−1/r=E (1.22)
となる。
さて、(1.22)の左辺を見てみると、第3項は古典的なポテンシャル(V=−1/r)であることが明らかである。一方、第2項は p=∇Sに(1.16)を代入して計算してみると、
p=∇S =∇(-Et +mΦ )=meΦ /r sinθ (eΦは、Φの動径方向の単位ベクトル) (1.23)
となり、これを量子的なハミルトン−ヤコビ方程式∂S/∂t +(∇S)2/2m+V+Q =0に代入すると、(1.22)と同じ結果が得られる。同一の結果が得られるのは当然のことであるが、量子的なハミルトン−ヤコビ方程式の左辺第2項が、(1.22)の左辺第2項に対応しており、(1.22)の第2項は運動エネルギーを表すものと考えることができる。
従って、水素原子の2P状態(m=±1 )では電子は静止しているのではなく、運動を行っていることがわかる。なお、m=0の場合は、波動関数の空間依存部分が実数であるため粒子は、静止したままである。
さて、(1.22)の左辺第2項や、(1.23)の最後にあるr sinθは、Φの回転軸からの距離となる。簡単に図示すれば、図1.3.1のような関係になる。なお、このΦの回転軸は通常z軸として定義される。
そこで、ρ=r sinθとおけば、(1.21)は
Q =−(1/2)・1/ρ2+1/r+E (1.24)
となる。従って、古典的なポテンシャルV=−1/rと量子ポテンシャルQの和は、
Q+V=−(1/2)・1/ρ2+E
である。これを、式(1.9) mdv/dt=−∇(V+Q)に代入すると、
dv/dt=−1/ρ3eρ (m=1、eρはρの増加する方向の単位ベクトル) (1.25)
となる。つまり、ポテンシャルによって粒子に作用する力の方向は、常にz軸と垂直かつ内向きである。
さて、この内向きの力と逆方向に作用する遠心力が打消し合えば、粒子はz軸を中心とする円運動を行うこととなるが、円運動の遠心力は、
mv2/ρ=p2/ρ=1/ρr2sin2θ=1/ρ3
であり、(1.25)と打消し合うことがわかる。従って、2P状態(m=±1 )の粒子はz軸を軸とした回転運動を行っていることがわかる。
アマチュアリズムの量子力学