ボーム力学

1.2 量子ポテンシャルとinformation


1.2.1 量子ポテンシャルの性質

 粒子が量子ポテンシャルを介して、量子的な場Ψにより、

           Ψ(r,t)=Rexp(iS)     RSは実数であり、いずれもrt の関数とする)       (1.1)
         Q (1/2m)(2RR)                       (1.6)
                                   mdvdt=−()   (v:速度)                               (1.9)

のように作用される。古典力学ではニュートンの運動方程式により、粒子が真空中で古典的な力を受けなければ、粒子は静止したままか、等速直線運動を続けるかのいずれかである。一方、ボーム力学による(1.9)によれば、古典的な力が作用しなくても、量子ポテンシャルによる作用を受け、粒子が加速運動することがわかる。これは、古典力学とボーム力学の大きな違いである。しかし、(1.9)は形式的にニュートンの運動方程式と同じであり、古典力学のような決定論が得られるように思える。これについては、1.1.3の最後で「粒子が位置を有し、計算方法がわかっていても、不確定性原理によって初期条件が確定されないため、運動の予測は不可能であり決定論とはならない。」と説明したが、それ以外にも、量子ポテンシャルについて詳しくみていくと、古典力学とは異なる性質があることがわかる。これについて、本節では説明する。

 

 まず、(1.6)の分母と分子のいずれにもRがあることから、Ψに任意の複素数を乗じても、量子ポテンシャルは全く変わらないことがわかる。このことは、量子ポテンシャルΨの強さには依存せず、Ψの形(form)にのみ依存することを意味する。そして、粒子は(1.9)を介して量子ポテンシャルの作用を受けるのだから、粒子の運動はΨの強さには依存せず、Ψの形(form)にのみ依存するということになる。

 古典的な波動について考えてみると、波が物体に与える運動は、波の振幅に比例するのが一般的である。例として、水面に浮かぶウキの運動を考えれば、波源から遠くなるにつれて、波の振幅が減衰するため、ウキの運動も小さくなることが経験的に自明であろう。しかし、このケースを量子的な場について考えてみると、どんなに波源から遠くなったとしても、ウキの運動の大きさが変化しないという、奇妙なことが起こる。

 古典的なものと量子的なものを対比させれば、奇妙なことが起こるのは当然であるが、ボームは量子ポテンシャルのこの性質について、もっと適切な古典的モデルを与えている。これは、次のような、「ラジコンの船」を用いたものである。

 ラジコンの船というのは、一般的にその動力は船本体に備わっているが、どのように運動するかはリモートコントロールにより操作される。そして、リモートコントロールとは、船本体の動力に比べて小さいなエネルギーを持った電波によって行われている。現実のラジコンの場合は、リモコンから距離が離れ、船が受ける電波の大きさがある程度小さくなると、船に備わった受信装置が電波を感知することができなくなり操作不能となる。しかしここでは、リモコンから発信される電波がどんなに小さくても受信される理想的な受信装置を、船が備えているものとする。
 さて、どんなに電波が減衰していても船は同じように運動することから、船の運動はリモコンから発信される電波の強さには依存せず、その形にのみ依存することになる。つまり、船と電波は、粒子と量子的な場と同じような関係になるのである。ここで、本質的な点は、船は自分自身の動力エネルギーにより運動するが、受信された電波の形によって操作されるということである。このことからボームは、粒子もまたそれ自身のエネルギーにより運動するが、量子的な場が粒子のエネルギーを操作するとした。

 このボームによるラジコン船のモデルは、一見荒唐無稽なようにも思えるが、粒子と量子ポテンシャルの関係についてのイメージをよく捉えたものである。なぜなら、このモデルから次節で取り上げる「information」という概念も自然と出て来るからである。

 さて、電磁波の源は、電子や磁性体の振動等であるが、量子的な場の源はなんであろうか?標準解釈では、波動関数を実体そのものと考えるため(例えば「粒子であるかのようなもの」とは、δ関数のように極度に局所化された波動関数であるとする)、その源というのはあまり問題とはならない。一方、ボーム力学では量子的な場とは別に存在する粒子を考えるため、当然、その源が問題となる。これについて、ボームは「量子的な場には源がない、あるいは、粒子の条件に依存する他の形式がある」とし、「量子的な場とこれまでに扱われて来た古典的な場との間の重要な違いである」とするが、一方で「隔たった場所にある環境の性質が、運動に強く影響することが可能である」ともしている。粒子の条件環境というフレーズが意味するのは、恐らく粒子がある環境(例えば、水素原子に束縛された粒子、長さLの領域に閉じ込められた粒子など)のことであろう。シュレディンガー方程式を解く際に、必ず設定する境界条件(水素原子に束縛されておりエネルギーが負、長さLの領域に閉じ込められているなら両端で波動関数がO)がこれに該当する。つまり、量子的な場(数学的には波動関数と同じ)の中に「粒子がある環境」が反映されるため、量子的な場の源は「粒子がある環境」であると言えなくもない、といった意味であろう。(「である」ではなく、「言えなくもない」というのは、古典的な意味で源ではなく何か「他の形式」であるため)

 「粒子のおかれた環境」が量子的な場Ψに反映され、その量子的な場Ψが量子ポテンシャルを介して粒子に作用する。そして、量子ポテンシャルは量子的な場Ψの強さには依存せず、形式だけに依存する。つまり、近くにある環境も遠くにある環境も関係無く、粒子は環境全体から一様に作用されると考えることができる。このことは、「実験装置全体から切り離して、粒子の運動を語ることは本質的にできない」というボーアの全体論を想起させるが、「粒子の性質を本質的に変えること無くして、現実的に粒子を実験装置から切り離すことができなくても、全体の過程が概念上の凝視により受け入れることができ、考察上は切り離すことができるという点で異なる。」と、『THE UNDIVIDED UNIVERSE』では述べられている。「概念上の凝視」とは、観測していなくても粒子が明確な位置を有していると考えることができることを意味し(明確な位置という概念を利用できる)、「考察上は切り離すことができる」とは、実験装置全体=環境を量子的な場Ψによる量子ポテンシャルの作用とすることができるため、粒子自体を実験装置全体から切り離して考察することができるということを意味するものと思われる。

 

1.2.2 information 

 ボーム力学と古典力学の決定的な違いは、量子的な場の形式(form)にのみ依存し、その強さに拠らないという量子ポテンシャルの性質にあることが、前節で理解できた思う。量子ポテンシャルのこの性質は、一見すると非日常的な性質であるように思えるが、我々が情報(information)を扱う際にしばしば経験するものである。

 例えば、我々がラジオを聞く際には、電波そのものに含まれる信号ではなく、ラジオから発せられる音波を聞いている。電波そのものは、エネルギーが小さいため、我々の感覚器官では直接とらえることができないためである。ラジオの電波は、エネルギーは小さいが、何らかの信号という形式(form)を有している。一方で、ラジオの本体は大きな電源を有していても、そのエネルギーは形式化されていない。電波が運んでくる形式がラジオ本体の持つ大きなエネルギーに与えられて、それが音波となる。つまり、ラジオという機器には、形式化されていないエネルギーに形式を与える(in-form)という機能がある。

 ラジオの電波が運んでくるのは、信号という形式であるが、それが表しているのはニュースや天気予報といった情報である。従って、ラジオの電波が情報を運んで来るという言い方をしても間違いではない。しかし、「情報」という言葉は非常に意味が曖昧であり、物理学で使用するには再定義が必要である。そこで、ボームは「information」という言葉の一部である、「in-form」という語に着目している。つまり、「in-form」とは「能動的に何かに形式を与えること」あるいは「形式を与えるもの」を意味し、「information」という言葉に「何かに、形式を与えることができるもの」といった意味を与えている。

 こういう意味で、情報という言葉を用いると、前節で取り上げた「ラジコンの船」のモデルでは、「電波は運動についてのinformationを船に送り、船の受信装置がそのinformationを受取り、何らかのメカニズムでその形式に従った運動を船が起こす。」ということができる。そして、同様に粒子の場合には、「「粒子のおかれた環境」は量子的な場Ψinformationとして反映される。その量子的な場Ψが量子ポテンシャルを介して、informationの形式に従った運動を粒子に及ぼす」という言い方ができ、量子的な場Ψには、粒子を取り巻く環境についてのinformationを含んでいるという物理的意味を与えることができる。

 さて、ラジオの電波は受信機としてのラジオが無くても、放送局から発信されていればinformationとして存在している。このことは、ラジコンの船の電波についても同じことが言える。そういう意味では、電波のinformationは潜在的に存在しているが、ラジオ等の受信機の中でエネルギーに形式を与えることができる場合にのみ、実際に活動的(active)である。ラジオ等の受信機が無い場合は、informationはあっても非活動的(passive)である。しかし、非活動的なinformationもラジオ等の受信機さえあれば、活動的になるのだから、潜在的には活動的であるといえるであろう。
 ボームは、単なる「information」ではなく、「active information」という一節を設けているが、「active」というのは上述のような意味である。粒子に作用するのは、「active information」であるから、それを強調して「information」ではなく、「active information」としたのであろう。

 

 

 

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