量子力学の基礎概念
1.状態と物理量と観測値
物理系を記述するための基本概念の一つとして、「状態」という概念がある。「状態」とは、ものありさまのことで、例えば、物体運動の状態なら、位置と運動量によって記述される。そして、古典力学では状態の時間的変化は、ハミルトン関数から求められる正準方程式によって決定され、ある時刻の位置と運動量から、時間による状態の変化は一意的に定まる。
また、古典力学では運動する粒子の物理量(位置、運動量など)を、観測により得ることが可能であり、観測値は常に物理量と一致することが暗黙の前提となっている。つまり、その観測値を物理量と同定することができるため、ある時刻の位置と運動量を観測すれば、正準方程式により状態の時間的変化の全てを知ることができる。
一方、量子力学では、不確定性原理により位置と運動量を同時かつ正確に観測すること不可能である。従って、位置と運動量の観測値を物理量と同定することができず、状態の時間的変化を知ることもできない。このことを、ミクロな系はマクロな系と異なり、観測により系の状態が乱される(擾乱)ためであるとするのは、直感的にわかりやすり説明ではある。しかし、これでは観測技術の問題となってしまい、いくら原理的な問題であるといわれても説得力がない。この説明には、どうしてもが数学になる。この数学については、後述することとし、ここでは量子力学では状態と物理量と観測値が、どのような関係にあるかについて説明する。まず、天下り的ではあるが、量子力学での状態と物理量の定義を与える。なお、これらの定義は厳密な数学を用いた場合には、若干修正される。
状態の定義(定義1)
・量子力学の状態は、波動関数ψによって与えられる。ただし、任意の複素数をa(a≠0)としたとき、aψとψは同じ状態を表すものとする。
物理量の定義(定義2)
・量子力学の物理量は、自己共役線形演算子Aによって与えられる。
さて、状態の定義は、定常状態や励起状態といった言葉を用いているように、系に広がる波動関数が系の状態を表すというものである。後ほど説明するように、量子力学では系の中の構成物(古典力学なら粒子)が有する物理量によって、状態が定まるという考え方ができない。むしろ、逆に状態から観測可能な物理量が定まり、観測により得られる物理量の値は、観測可能な物理量の中から偶然的に得られるといった構成になる。これについては、数式を用いると概念がより明確になる。
また、物理量の定義については、物理量が演算子になるという点で古典力学とは根本的に異なる。当然のことながら、物理量と言いながらも「量」ではないため、観測することはできない。そういう意味で、古典論における物理量と区別するために、量子力学では「オブザーバブル」という言葉を用いている。また、演算子であっても自己共役かつ線形な演算子に限定されているが、これは次に説明する。なお、自己共役線形演算子なら、なんでもオブザーバブルとなることは意味していない。オブザーバブルが自己共役演算子なのである。
さて、ある自己共役線形演算子Aが状態ベクトルψに作用して、状態を変えないようなものAψ=aψが特定のaの値a=anに対して存在する。つまり、ψはAの固有状態であり、aは固有値である。そのような固有状態をディラック表記で|an>と書くと、
A|an>=an|an> (1.1)
と表せる。 AをハミルトニアンH、|an>をエネルギー固有状態、anをその状態のエネルギーと考えれば、(1.1)は、定常状態におけるシュレディンガー方程式とみなすことができる。
ここで固有状態の観測について、定義を与える。
固有状態における観測の定義(定義3)
・あるオブザーバブルAの固有状態|an>でAを観測する理想的な観測を行うと、観測値としてanが得られる。
観測値は実数であることを仮定すると、オブザーバブルが自己共役でなければならないことがわかる。つまり、|an>が規格化されているものとして、
( |an> ,A|an>)=( |an> ,an|an>)=an
( A|an> ,|an>)=( an|an> ,|an>)=an*
anが実数であるための条件は、an=an*であるので、
( |an> ,A|an>)= ( A|an> ,|an>)=( |an> ,A*|an>)
が要請される。従って、A=A*であり、Aは自己共役演算子でなければならない。
さて、自己共役演算子Aの固有状態|an>は完全直交関数系を張る。従って、|an>任意の状態Ψはこの一次結合により、
Ψ=Σcn|an> (cn= <an|Ψ> ) (1.2)
と表すことができる。なお、Σはnについて和をとり、|an>は規格化されているものとする。
(1.2)は、様々な観測値が得られる状態の重ね合わせである。そして、この状態では観測値は未だ確定しておらず、様々な観測値を潜在的に含んだ状態である。では、このような重ね合わせの状態からオブザーバブルAを観測すると、どのような観測値が得られるか、重ね合わせの状態での観測の定義を与える。
重ね合わせの状態における観測の定義(定義4)
・重ね合わせの状態Ψ=Σcn|an>でオブザーバブルAの理想的な観測を行うと、cmcm*の確率で観測値amが得られる。また、観測直後の状態は|am>となる。
従って、重ね合わせの状態から得られる観測値は、固有値のどれか一つであり、他の固有値は得られない。また、観測値が得られる確率は一様ではなく、cmcm*の大きさによって重みづけされる。
(1.2)と定義4から、量子力学における状態についての描像が得られる。状態Ψにはすべての観測値とそれが得られる確率についての情報が含まれている。従って、観測という側面から言えば、どのような観測値がどのような確率で得られるかということを状態は規定している。こういう意味で、状態は「観測値を統轄するもの」や「可能性の魔」といわれることがある。あるいは、「観測のための環境である」といってもよいかも知れない。また、オブザーバブルである自己共役演算子はそれぞれ完全直交関数系を張るため、一つの状態を様々なオブザーバブルの固有状態の一次結合で表すことができる。従って、問題としているオブザーバブルだけではなく、状態には全てのオブザーバブルの観測値に対する、潜在的可能性が含まれているのである。
さて、定義4の「また、観測直後の状態は|am>となる。」は、Ψ=Σcn|an>の状態で観測してamが得られても観測前に|am>であったとは言えないことを意味する。このことは、どちらを光子が通るか、観測した場合には単スリットの重ね合わせの像が生じ、観測しなかった場合には干渉像が生じるという、有名な2重スリットによる光子の干渉実験を考えてみればわかるであろう。観測した場合に、状態がどちらにも収縮しないのであれば、干渉像が生じるはずであるから、観測したことにより状態が収縮したと考えるしかない。(観測により、最初に遡って状態が変化したと考えられなくもないが、因果律に反する)なお、このような収縮はシュレディンガー方程式による、連続的な状態の変化とは異なり、不連続な変化である。
アマチュアリズムの量子力学