ボーム力学
0.1 ボーム力学に対する批判
当HPに二重スリットのシミュレーション結果を掲載した頃から、閲覧者の方からボーム力学に対して批判的なメールが届くようになりました。中には、非難中傷めいたものもありましたが(「二重スリットの軌跡を学生が見ると、間違った理解をするじゃないか。」という、大学関係者なる方の抗議にはあきれましたが・・・)、概ね「隠れた変数の理論は、すでに否定されている。」「HPで紹介するには、もう古いのでは」「観測できない軌跡を計算しても意味がない」といった内容でした。
私自身が、「ボーム力学」を研究しようというきっかけになったのは、『シュレディンガーの子猫たち〜実在の研究』(著者:John Gribbin、 訳者:櫻山義夫)で、「フォン・ノイマンが、隠れた変数の理論が量子の振る舞いを正しく記述することは不可能だと証明したとされているが、その証明が実際には誤りであった」との記述(同書のP208〜P218)を目にしたことです。(なお、私は実際にこの証明を見たことはありませんが、「隠れた変数の理論は否定されている。」という記述は他の文献で目にしたことはあります。実際には、『量子力学の哲学』(著者:森田邦久)や『量子力学〜観測と解釈問題』(著者:高林邦弘)などによると、「量子力学の経験的正しさを認めつつ、状況に依存し、かつ非局所的な隠れた変数理論」ならあり得るようです。)その後、ネット検索等を経て『THE UNDIVIDED UNIVERSE』にたどり付き現在に至っております。従って、上述のような「ボーム力学」に対する批判に対しては、『THE UNDIVIDED UNIVERSE』を根拠にするしか反論のしようがありません。しかし、D.Bohm本人の著書では説得力が無いので、他の何かが必要だと思い探していました。
こうして、素人なりいろいろと文献を探したところ、ボーム力学についてのD.Bohm以外が記述した文献として『THE QUANTUM THEORY OF MOTION』(著者:PETER R.HOLLAND)を見つけました。『THE UNDIVIDED UNIVERSE』の約2倍程もの分量があるこの本には、当HPにあるような2重スリットの他、量子トンネル効果や選択遅延実験のシュミレーションなども行われており、説明もかなり細部に渡っています(私としては、先を越された感はありますが・・)。
ここではボーム力学に対する典型的な7つ批判とそれに対する反論の要約を、この『THE QUANTUM THEORY OF MOTION』より紹介させて頂きます。なお、若干私なりのアレンジを加えています。
(以下、『THE QUANTUM THEORY OF MOTION』より)
物理学者たちは、どのようにしてド・プロイ=ボームの因果的な理論(DBT)が可能であるかすら理解していない。そのうえ、DBTが量子力学によって示される全ての実験的事実を実際に表しており、かつカバーしているとしても、そこには何らかの自己矛盾を含んでいるに違いないと懐疑的である。しかし、物理学者の多くがDBTに対して漠然とした審美的な嫌悪感をもつことに反して、我々の知る限り、DBTの反証となるような理論上の重大な批判がなされたことはない。
ここで、今後の詳細な解析に先立ち、DBTに向けられているいくつかの典型的な非難に対する反論をここで要約する。
(1)軌道がそこにあることを証明することができない。(You cannot prove the trajectries are there.)
正確な位置と運動量を同時に観測することは不可能であるという量子力学の不確定性原理をDBTが再構成する限りでは、この批判は正しいが、これを軌道概念を批判する根拠とすることはできない。エビデンスの存在を前提する場合にのみアイデアが認められるのならば、科学は存在していなかっただろうし(例 エーテル、熱素、古典化学における原子など)、そもそも量子力学が完全であるかを実験的に証明することは全く不可能である。存在証明が可能か不可能かとは関係無く軌道概念の優れたところは(相補性のような曖昧な哲学を用いることなく)、量子力学における幅広い一連の実験的事実の理解を容易にすることである。
(2)何にも新しいことが導かれない。(It predicts nothing new.)
そもそも、量子力学の完全性を仮定しても、実験結果の計算ができるだけで、量子力学的な現象の過程については、何もつまびらやかにはされていない。これに対して、DBTは個々の現象に適用されるより詳細な予測を許容している。(2重スリットの例で言えば、感光板に現れる干渉像が計算できるだけではなく、どの軌道かはわからないにしても、軌道の束を示すことができる。)このことが、実験的に試されるかどうかは、まだ解決されていない問題である。
(3)古典力学への回帰を意図している。(It attempts to return to classical physics.)
過去から未来へと因果的に発展する波と粒子の決定論的なモデルというのは、特定の現在に限定して何かを表すという問題に共通する特徴的な解である。ド・プロイとボームは、古典的な概念を再導入しているとして、厳しい批判を受けることがたびたびあったた。しかし、この手の批判は、質点を包含して存在する力学系の「状態」という古典力学では用いられなかった新しい概念を、DBTが用いているという重要な点を見落としているのである。そして、軌道概念は、この「状態」という新しい概念を無視できないほど鮮明に際立たせている。(「状態」とは数学的には波動関数と同一であるが、DBTでは質点を包含しつつ量子ポテンシャルを形成し、その軌道を決定するという役割を有する。これにより、波動関数の確率解釈も説明することが可能になる。なお、標準理論では確率解釈は何ら説明を要しない前提とされている。)このような本質的に非古典的な着想は、適用範囲を限定することで可能な限り古典的な概念を残そうとしたボーアの着想と対比されるべきである。
(4)非局所性を代償としている。(The prise to paid is nonlocality.)
非局所性は、DBTの本質的な性質である。この性質は、相対論的量子力学の統計的な予測に矛盾しないが、その予測は完全に局所的な理論が好ましいという一般的な傾向から、相対論的量子力学の欠点と考えられている。しかし、もし非局所性を放棄することで、(局所的な過程も含めて)客観的な過程の内容を全く否定して量子力学が進められるならば、非局所性は小さな代償であると思われる。さらに、非局所性は標準解釈のように現象を描画的に表すこと(空間を運動する電子など)を否定するものではなく、そのような描画が作成された時に備えるべき条件を定めるものである。
(5)量子力学よりさらに複雑である。(IT is more complicated than quantum mechanic.)
数学的には、DBTには量子力学のフォーマリズムの改善(交替ではない)を要する。その理由は、通常行われる物理理論の説明というのは、その物理的解釈に最も適している訳ではないことによる。しかし、数学的にDBTは量子力学を残しており、特に量子ポテンシャル(波動関数から計算される)は、シュレディンガー方程式により既に暗示されている。
(6)直観に反する。(It is counterintuitive.)
確かに、DBTの方向性は古典物理的な直観に反している。「直観」というのは、「人間にとって自然である。」といったような意味であるが、それは時代によって変遷し、永久に固定されるものではない。力の作用を受けない限り等速直線運動を続ける物体という概念は、アリストテレスにとっては直観に反するが、ガリレイにとっては当然のことである。量子現象には、量子力学的な直観の創造が必要であろう。
(7)波動に対する粒子の反作用がない。(There in no reciprocal action of the particle on the wave.)
古典力学では、粒子と場の相互作用があり、互いに他方の運動に影響を及ぼしている。力学的な性質はDBTの一側面であり、この理論によって示される多くの非古典的な性質の1つが、粒子は先導される波動に力学的な反作用を及ぼさないということである。古典的な理論では、反作用を必要とすることが合理的であるが、これを粒子と場の概念を用いる全ての理論(特に、非古典的な場を含む場合)の論理的な必要性とみなすことはできない。
批判の方法に着目するなら、(3)で古典的な主張に対して批判されているとともに、(4)、(6)及び(7)では古典的ではないとしてDBTが批判されている。
アマチュアリズムの量子力学